はてさて、皆さま、無粋な灯りに夜闇が拭われて久しい昨今でございますが、それのみで妖共が祓われたとお考えではございませんか?
いえいえ、それは早計というもの。
妖は、人の心の影。人に心在る限り、消え失せなど致しませぬ。
故に、けーたいやぱそこんやねっとわーくなぞという代物にも、もはや既に、妖共が棲みついているのでございますよ。貴方がその名をご存じないのは、新しき妖でまだ名が無いので、誰も呼ばぬからでございます。
鞄の中で鳴っているけーたいを、なかなか見つけられなんだことはございませんか?
何もしておらぬのに画面が動かなくなったぱそこんに、深いため息を吐いたご経験は?
宝物が眠っておるはずの隠し頁を、ここだと提示されたのにたどり着けず、悔しい思いをなさったことは?
それらはね、全て、名もなき新しい妖のせいなのでございますよ。
妖共は、ふてぶてしくも、この現代でもしっかり生き残ってございます。
おや?そのお顔はどうなさいました?
妖の実在を、まだ疑っておいでですか?
よろしい。
ならば、今宵より、語って聞かせようじゃあありやせんか。
では、しばし、お時間を拝借。
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≪氷柱女≫
軒先に氷柱が垂れる大雪の夜、男の独り住まいに美しい女が訪れた。一目で恋に落ちた男は、冴え凍る美貌の女と夫婦になる。しかし、春になると、女は姿を消してしまった。男は女に逃げられたものと思い悲しんだが、その年の内に別の女と再婚した。
そして、再び冬が訪れる。男のもとへ、あの女がまた現れた。男が再婚したことを知った女は、怒りのあまり、氷柱に姿を変えて男を刺し殺してしまった。
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巻沙織には、悪気などなかった。
巻は、多少がさつなところもあるが、さっぱりした気性で友達思いの良い娘である。男子などに対しては言葉がキツいこともあるが、文句を飲み込んで陰に籠ったりはせぬ分、つき合い易い人間であった。
故に、重ねて言うが、巻には悪気はなかったのである。
間違いなく、彼女こそがこの事態を招いた一因であっても。
先刻、清十字団の部室に訪れた巻は、親友の鳥居が掃除当番で遅れる為に、だらだらと暇を持て余していた。
誰かに話しかけてもよいのだが、団長の清継はHPの掲示板をチェックしていて、カナは携帯でメール中。島は本日はサッカー部で、リクオと氷麗は、誰ぞに渡す為かせっせと鶴を折っていた。
以前に手伝ってもらったことだし、鶴を折るのを手伝ってもよかったのだが、向かい合わせに座って時々くすくす笑いながら仲睦まじく作業する二人に混じるのも気が引けて、巻は、なんとなく、清継がこの部屋に持ち込んでいる本をぱらぱらとめくっていた。
と、そこで、巻末の索引に気になる言葉を見つける。
「≪つららおんな≫?」
「はい?」
呼ばれたかと思った氷麗が返事をした。巻は慌てて首を振る。
「違う違う。氷麗ちゃんを呼んだんじゃなくて・・・」
「わかっているぞ、巻くん!君が言ったのは、妖怪≪氷柱女≫のことだね!」
巻の話を遮ったのは、中学1年生にしてゴーイングマイウェイ驀進中の生徒会長様だ。自他共に認める妖怪マニアの彼は、普段は妖怪に興味がなさそうな団員の口から妖怪の名が出たことを喜んで、≪氷柱女≫がいかなる妖怪かを嬉々として解説してくれた。
解説を聞いて、巻は眉を顰めた。あんまりいい話ではなかったからだ。
一般に、自分と同じ名前の妖怪がいて、その妖怪が裏切った夫を刺殺する伝承をもつと聞かされては、気分が良くなかろう。
が、そんな気持ちを解さないのが、清継という男であった。
「自分と同じ名前の妖怪がいるなんて、及川さんはラッキーだねぇ!僕にも、【清継】という名前の妖怪がいてくれたらいいのに」
「何言ってんだ、バカ清継!つ、氷麗ちゃん、清継の言うことなんか気にしないで・・・」
清継の後ろ頭を叩いた巻は、慌てて氷麗にフォローを入れようとしたが、氷麗の顔を見て言葉が止まった。
氷麗は、微笑んでいた。
感情表現豊かな氷麗は、本当に嬉しい時(リクオに弁当を褒められた時など)には、輝くような笑顔を浮かべる。その笑顔は、漫画ならば、背景に、キラキラ・星・点描・花などが舞っていそうな代物だ。
しかし、今の氷麗の笑顔に相応しいだろう背景効果は、それらとは異なるだろう。
「そうですね。同じ名前なのですし、似ているかもしれませんね?私も、もし、ええ、本当に『もし』ですけど、そんなふうに裏切られたら同じことをしてしまうかもしれません。『もし』ですけど」
氷麗は笑っている。
その笑みは、美しいが、大変、すごく、とても、冷え冷えとしている。
この笑みの寒々しさが、発言が、誰の如何なる所業によってのものなのかはあまりにも明白なので、巻が、カナが、清継までもが、彼女の向かいの席に座る人物に視線を送った。
「・・・・氷麗、何か誤解してる?」
「いいえ。ちっとも。全然。まったく。これっぽっちも。昨夜のアレも、先週のソレも、私は何にも気にしてなどおりませんよ」
「気にしてるだろ。あのね、今朝も言ったけど、ボクは常に潔白だから」
「ええ、ええ。存じ上げてございますとも」
氷麗は、まだ冴え凍る微笑を湛えている。
巻は、何だか肌寒く感じて、腕を擦った。カナは、メールを打つ手を止めて、顔を引き攣らせている。さすがの清継も無言だ。
巻は、こう見えても気遣いの出来る娘である。故に、他意はなかったとはいえ、己の発言が原因だと思った彼女は、フォロー、もしくは話題の切り替えを行おうと考えたのだが、何故か背筋がぞわぞわとして鳥肌が立ち、言葉がうまく出て来なかった。
部室の空気が、どんどん冷えていく(物理的にも)。
寒々しい(物理的にも)沈黙を破ったのは、リクオが漏らしたため息だった。
何やらを決意した様子でため息を一つ漏らした後、リクオは、氷麗の手を取り自分の胸に当てる。
「氷麗、ボクは未来永劫そんなことしないけど、『もし』ボクが裏切ることがあったなら、お前の好きにしていいよ?」
「リクオ、様・・・・・」
氷麗以外の誰も聞いたことがないうっとりするほど甘い声で、優しく微笑んだリクオが囁く。氷麗の氷の微笑が崩れ、部屋を覆っていた寒気が緩んだ。
「お前の手で果てるなら、本望ってものだ。だから、その時は、どうか、ボクが目を閉じてしまうまで抱きしめておくれね?」
「リクオ様っ!」
凍てついた氷は溶解した。氷麗は頬を紅潮させ、眼前のリクオを見つめる。部屋の気温が急上昇した。
「いいえっ、いいえリクオ様!私はそのようなことは致しません!決して!相手の女は殺してしまうかもしれませんが、リクオ様を傷つけたり出来るものですかっ!」
あれ?氷麗ちゃん、今、さらっと怖いこと言わなかった?、と巻は眉を寄せたが、奴良家の当主はそのような細かいことは気にならないらしく、胸に当てていた氷麗の小さな手を両手で包みこんで、にっこり笑う。
「うん、氷麗」
「リクオ様・・・」
「氷麗・・・」
「リクオ様・・・」
「巻~、遅くなってゴメン!ごみ出しに行って・・・・・・ん?」
部室の扉を開けて親友の元へ駆け込んだ鳥居は、折り鶴が転がる机を挟んで座る二人の様子に首を傾げた。
いつも仲の良い二人だが、今日は、手を繋いでお互いをじっと見つめ合っている。背景に花や点描を描き込んでやりたいような雰囲気で。
「気にするな、夏実。気にしたら負けるよ。心を強く持って!人は人で、自分は自分なんだから!」
「いや、それはそうだけど・・・・・何があったの?」
「あっ、リクオ様ぁ・・・・んっ!」
「氷麗っ」
今宵、奴良屋敷の主様の寝室から、漏れ聞こえる声は二つ。
【氷柱女】には、他に、嫌がる妻に入浴を強いたら熱に耐えきれず溶けてしまった、という伝承がございますが、浮世絵町の【つらら】もまた、恋の熱に溶かされてしまった様子でございます。
あらあら。
【どっとはらい】
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